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自分を責め続けた日々を抜けて。仲間と出会い共感しあうことで扉が開けた 【東京都】山田みのりさん

“障がい受容”とは障がいを受け止め、自分の中で向き合い、そして納得していくプロセスである。一言で言えば、簡単だが、障がい受容という言葉の背景には、葛藤、悲しみ、慈しみ、多くの人間の感情が渦巻いているのだ。脳性まひの子どもを持つ親に対し、子どもの障がいが受け入れられているか否か、それぞれの家族が直面した“障がい受容”に関し、母親たちに話を聞いた。

告知を受けた瞬間から、自分を責め続けていた

山田みのりさんの長男、おもちちゃんは、2025年4月に小学生になったばかり。2019年に切迫早産で入院。33週と6日で出産し、生まれたときの体重は2236gだった。一時的に酸素吸入が必要なこともあったが、順調に育っているようにみえた。しかし、退院前日に担当医師から「脳室周囲白質軟化症(PVL)による、いわゆる脳性麻痺」である可能性が高いと告げられる。「このときの記憶はあんまりなくって。泣きながら夫に電話したことだけは覚えています」と、みのりさんは振り返る。

「障がいはあっても、退院後の生活に特に支障はない」と言う医師の言葉通り、特別な支援を必要としない赤ちゃんと変わらないであろう生活が始まった。けれど、告知を受けたその瞬間から、みのりさんは自分を責め続けていた。

「おもちは毎日かわいくて、たくさん笑わせてくれる。でも、妊娠中に仕事をがんばりすぎたせいで早く生まれちゃったのかなとか、脳性麻痺だったら寝たきりの生活になってしまうかもしれない、とか、いったいどうなってしまうんだろうってすごく不安で。ネットでやみくもに情報を探す日々でした」。

共感しあえる仲間と出会い、やっと受け入れることができた

常に不安を抱え、葛藤する日々。できることがあるならば一日も早く行動に移したいという一心で、おもちちゃんが5ヶ月くらいの頃から、近隣の療育センターに通い始めた。

「小さいからリハビリでできることは限られているとは言われたけれど、そんなことはないでしょうって。プロの方に触れていただくほうが効果があるんじゃないかと思って」。

療育センターに通いながら、自営業である山田さんは仕事も少しずつ増やしていった。

「ずっと家にいておもちの顔を見ていると、不安な気持ちがどんどんふくらんで、言葉もネガティブになってしまって、どうにかなりそうで。早く外にでて働きかったんです」。

同じく自営業の夫とスケジュールを調整しながら、育児と仕事を両立した。自宅で育児をし、療育に通いながら、息継ぎをするように仕事をする。有益な情報も少ない。そんな日々のなかで、みのりさんが子どもの障がいを受け入れられるようになってきたのは、おもちちゃんが1歳になる頃。

「Instagramを通して、同じ障がいを持つママさんたちとつながるなかで、だんだん気持ちの整理がついてきて。ふと、私も、うちの子も脳性麻痺ですって、SNSやまわりの人たちに言っていいかなと思えたんです」。

健常の子どもとは生活リズムや発達の速度も違う。オープンに話をしようと思っても、相手を戸惑わせてしまうのではないかと葛藤し続けていたのだ。「やっぱり、当事者としかわかりあえない育児のうえでの大変さがある」からこそ、人と話すことで気持ちの整理ができ、話を聞く心の余裕もでてきたと言う。

「保育園でみんなは歩き始めているのにうちの子はまだずり這いしてて切ないよねとか、そういうことに共感してくれる人たちとの出会ってほんとに救われたんです。あぁやっと、詰まってた呼吸ができたーって」。

この子の「やりたい!」をとことん応援したい

おもちちゃんは今、地域の小学校にある肢体不自由学級に、専用の送迎バスで通っている。歩けるし走れるけれど、長距離は不安だ。また、視覚機能に障がいがあり、視野が狭く、特に段差などの凹凸が見えづらく、よくつまづいてしまう。

「近くの学校に徒歩で通うという選択肢もあったのだけれど、設備が整っていないので安全面が心配で。おもちの性格を考えると、環境に合わせようときっとがんばりすぎしてしまうだろうから」 みのりさんは、通いはじめた肢体不自由学級の先生たちの専門性の高さに感動したのだそう。今までいやがって履いてくれなかった装具もさっと着けてくれるなど、おもちちゃんにとって快適な日々を送れるよう、親ですら言語化しづらいちょっとした“やりづらさ”に目を配り、細やかにサポートしてくれている。

障がいのある子が描く夢を、実現できる社会であってほしい

おもちちゃんが保育園に通っていた頃、「なんで、おもちは走らないの?」とお友だちに聞かれたことがあった。みのりさんは、障がいのことを、保育園の子たちにちゃんと説明した方がいいのかもしれないと悩んだという。

そのことを保育士さんに相談すると、「しなくていいです。みんな、おもちちゃんを手伝っているなんて思っていなくて、ただ、彼と手をつないで、一緒に歩いてるだけなんです。周りの子たちは、今のおもちちゃんがおもちちゃんなんだってわかっているから、健常児との“ちがい”だなんて思っていないんですよ」との返答だった。

「子どもたちはそうやって、気づきを得ているんですよね。思ったことをただ聞いてくれただけなのに、私が重く受け止めすぎていたのかなって。それからは、『おもちは、ママのお腹から出てくるときにケガをしちゃったんだ。でも、遅いかもしれないけれどおもちは走っているでしょう、だから応援してあげてね』って話しています」

みのりさんは、子どもが、自分で決めたことを実現できる世の中であってほしいと願う。おもちちゃんの夢は日々変化する。運転手になりたいと語ることもある。

「目が見えないから、足が不自由だからってあきらめるなんて、絶対あってはいけないと思うんです。親として最大限サポートはするけれど、やはりもっと、社会の中での障がいに対する理解やサポートは必要で。この子たちがどういう生活をしていて、何が危険なのかをもっとお互いに知り合って、サポートしあえる世の中になってほしいです」

これからテクノロジーは進化し、障がいへのサポートも変わっていくだろう。けれど本当に必要なのは、人の意識の変化だ。障がいの有無にかかわらず、互いの生きづらさを理解し、支え合う社会をつくること。それは私たち一人ひとりの責任でもある。

取材・執筆:山森彩
写真:山田さん提供

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